本題に入る前に一言。前にも書いた気がするけど、いまだに「いっかごん」と読んでました(汗)。「いっかげん」なんですね。
「悪魔RELATIVITY」注文しました。まだ聞いてません。聞く前にこういうことを書くのもどうかと思って控えていたんですが聞いてもこれから書くことは変わらないと思うので書こうという気力のあるうちに認(したた)めておくことにします。
ACE清水長官不在の聖飢魔IIという形態に関してそれをネガティブに捉えたり批判するのは懐が狭い、「新しい聖飢魔II」を認める度量が無い、というのはわかります。エース長官と異なるジェイル代官のバッキングプレイ(伴奏)を私は「それはそれこれはこれ」として充分楽しんでいますし、新曲に関しては「解散したバンドが今更何曲も新しい曲作るなよ…あんなに綺麗に解散したのにケジメが無いぞ」と思いつつもやはりそれはそれとして楽しむ気ではいます。
ただ、エースが作曲した曲のギターソロに関しては、一切弄って欲しくなかったというのが偽らざる心境です。「STAINLESS NIGHT」のギターソロは代官が弾いているらしいのですが、それがたとえどんなに素晴らしい出来映えの、半端無い仕事っぷりの極上のギターソロであっても、やはりそこはエースのギターソロを完コピして欲しかったと思います。『We ROCK』誌及び『Young Guitar』誌のインタビューも拝読しましたが、代官は長官のパートを完コピすることを「ノスタルジックな(後ろ向きな)行為」と捉えているようで、新生聖飢魔IIと自分の新たなチャレンジを聞いてもらいたいと思っているようです。「エースのソロを完コピすることにどれだけの意味があるのかと思ったし、自分はそういうギタリストでもないから」というようなことを『Young Guitar』誌でおっしゃっておられますが、いやいやいや、そこにはちゃんと意味があるんです!!!
私はジェイル代官の弾いた「蝋人形の館」のギターソロに関しては大絶賛致しました。それはこの曲がダミアン浜田殿下作曲の曲だからです。デビュー時に既に構成員ではなかったダミアン殿下の曲であれば、エースがエースなりのギターソロを弾いても、その後ジェイルがジェイルなりのソロを弾いてもある意味許されるといっていいでしょう。しかし、エースがきっちりギターソロまで作り込んで譜面に起こした曲に関しては、それを弄るのはどうかと思うのです。ギターソロは単なる間奏の一部と捉えることもできますが、変え得べからざる楽曲の重要な一部という考え方もまたあります。ベートーベーンやモーツアルトの曲を、現代の演奏家が「新しいチャレンジだ」と言って一部を変えて弾いたりするでしょうか?(クライズラーカンパニーの「交響曲第五BURN」のように全般に渡ってアレンジしてしまうのはまた別の話です。アレは素晴らしい) 一般的に考えてそれは作曲者に対する冒涜ですし、現代の演奏家がベートーベンやモーツアルトの曲を譜面通りに演奏したってそれは「ノスタルジックな懐古的行為」ではありません。昔の演奏家、指揮者とは別の魅せ方や表現方法が、たとえ同じ譜面を弾いていてもそこにはあります。仮にジェイル代官やルーク参謀がエース長官のギターソロを完コピしていたとしたら、そこには音色やピッキングニュアンスや音符のレガート具合やらスタッカート具合、全体のグルーヴ等でやはりエースのソロとは違った趣のソロになっていたはずです(実際「蝋人形の館」ではギターソロ導入部は全く同じですがニュアンスは長官とかなり異なっています)。私は全く新しいソロよりもむしろそこをこそ楽しみたかった。それは決して後ろ向きなことではないはずです。
ハードロックとクラシックを同列に語ることに抵抗がある人もいるかもしれません。私も、エース清水が「典型的なハードロックギタリスト」だったら、彼がアドリブプレイを得意とするようなプレイスタイルのギタリストだったらそれほど文句は言いません。しかし彼は徹底的にギターソロを作り込むタイプです。純粋に譜面だけで見ても非常に面白いコードやスケールアプローチを多様する(というかそこに心血を注ぐ)方です。そういった方の作ったギターソロを「違うプレイヤーが弾くから」と言って全く違うものにしてしまうのはやはり残念だと思うのです。
更に、ジェイル代官が聖飢魔IIを脱退した時のことを考えてみましょう。代わって加入したルーク参謀は、きちんとジェイル代官のソロを完コピしていました。…まぁ、「秘密の花園」なんかでは割と崩して自分なりのソロを弾いていたりしてましたが、「アダムの林檎」や「FIRE AFTER FIRE」等の超代表曲では基本的に完コピの姿勢を崩しませんでした。そうして大切に楽曲のギターソロを参謀が守ってくれたからこそ、ジェイル代官が昔の曲で今も同じソロを弾いているのを聞いても我々は違和感無く楽しむ事が出来るのです。同様に、エースの曲のソロは「唯一無二の変えざるもの」としてジェイル代官とルーク参謀にしっかり守ってもらいたかった。「この曲はこういう曲です、こういったコード進行で、ソロのメロディはこうです」としっかりパッケージングして、新規信者や海外のリスナーに示してもらいたかった。それが果たして懐古主義でしょうか? 新たなチャレンジの無い行為でしょうか? 自分たちの(ルーク参謀やジェイル代官作曲の)曲は、当時の趣そのままにパッケージングされており、ギターソロもそのままです。しかし私達は(少なくとも私は)そこに新たな息吹を感じ、懐古趣味に陥る事無く楽しむことができています。
繰り返しますが、ダミアン殿下やデーモン閣下等長官以外の構成員が作曲した曲で、長官がソロを弾いていたものに関してはいくら弄っても構わないというのが私の見解です。しかし、エースが楽曲とソロを両方手がけたものに関しては、弄ってよいのはせいぜいバッキングのみであり、ソロまでは弄ってはならない、そしてソロを完コピするのは決して後ろ向きな行為ではないし、無意味なことでもない、と声を大にして言いたいのです。どんなにジェイル代官の作った新ソロが素晴らしい出来であったとしても、エースのソロを凌ぐようなものであったとしても、この気持ちは変わることはありません。
#ルーク参謀が作曲した「ONI(鬼)」に関しては?
ルーク参謀作曲の「ONI」のギターソロを今回ジェイル代官が弾いているわけですが、これに関しては私の中では許容範囲です。まず、ルーク参謀御本悪魔の許可が完全に得られているということが一つ。更に、「ONI」のソロは一応「決めソロ」ではあるものの、練り込んで作ったというよりはアドリブプレイ的な側面が強いソロです(この頃参謀はインプロヴィゼーション的アプローチに傾倒していた時期ですし、ミサでもソロを結構崩して弾いていました)。こういったソロなら他の方が別のソロを弾いてもあまり気にならないのですが、エースの場合「ハードロックギターのソロ」というより、どんな楽器に置き換えて演奏しても成り立つ「譜面的ソロ」なのでそこを変えられてしまうとどうしても違和感、抵抗感を覚えてしまいます。
2010年08月14日
この記事へのトラックバック
ジェイル代官のソロもそれなりに良いと思うけど…Sutenresunightを聴いてるとやっぱり 違和感が!
私はエース長官のソロを聴いて、エレキきギターの素晴らしさ 情感を感じる事ができるギターリストってこの人が初めて!
でもジェイルのSutenresunightのソロにはなぜか情感を感じる事できなかった。寂しかった!実は魔暦12月12日のDVDを買い 最初は素直に良いなあと思ったけど…どうしても”クリープが入ってないコーヒーなんて”ってCMにありましたが、そんな感じに思えて仕方ないです。
改めて、ジェイルのソロを聞いてからの感想ですが…
小節の頭の音をエースのソロと同じにして韻を踏んだりとか、エースのソロをレスペクトした、もの凄く練られたギターソロだと言うことはよくわかるんですよね〜。楽曲のイメージ、エースのソロのイメージを損ねることなく、しかしジェイル節をちゃんと感じさせる、これはこれで素晴らしいソロだとは思います。
・・・思うんですが、やはりっ!
そこまでやるんだったら完コピしてよ〜と、言いたくなってしまうんですよね(苦笑)。
>クリープの入ってないコーヒー
ブログのどこかに書いてますが、エースのいない聖飢魔IIは「ボーカルがデーモン閣下じゃない聖飢魔II」くらい違和感ありますよね…。もちろん魔暦12年の再再集結自体はあれはあれとして楽しかったし感謝もしていますけど、そして、不参加を決めたエースの気持ちもわかりますけど、やっぱり淋しいですよね。
ジェイルがエースをリスペクトしてるのはあのソロの音の並び等からもよくわかります。それはそれとして、楽曲は「リスペクトしてさえいれば好きなようにアレンジしてもいい」というわけではない、ということです。ベートーベンをリスペクトしてさえいればベートーベンの旋律を適当に替えた曲でも「ベートーベン作曲」と言って演奏してよいのか?と言えば世間がゆるさないはず。
もちろん大きく編曲、アレンジしたカヴァーであれば「作曲:ベートーベン アレンジ:誰それ」と銘打ってもいいでしょう。それと同じく、原曲を相当アレンジした「STAINLESS NIGHT」なり「BIG TIME CHANGES」なりであるならばギターソロを替えたってよいでしょう。しかしこの度の再録はソロ以外ほぼ原曲の完全コピーです。
ごく一般的なヘヴィメタル系ハードロックバンドの楽曲であればソロだけ変更してもその楽曲であるという言い方は出来るでしょう(というかそういう捉え方が一般でしょう)。しかしエースはソロは全て譜面に起こし、全体に渡る細かいアレンジも指定するようなミュージシャンです。エースの曲は、エースの作ったギターソロを内包していてこそ「エースの作曲した曲」であるのだと、これが私の感覚であり考えです。
ただ、このことを他者に押し付けるつもりはありません。私はそう感じているし、だからソロまで完コピして欲しかったなと残念に思っている、ということをブログにて吐露したまでです。だから貴方が「エースをリスペクトしているからこそ単なるコピーにしなかったのだと私は思う」と言うならそれは別に構いませんし、そういう見方もあるでしょうし、事実そういうこともあるのでしょう。それこそわざわざ説明されなくともその程度のことは承知しておりますが、私が運営しているブログであれば私が私の心情を自由に書き連ねてもそれに文句を言われる筋合いはありません。
私と見解が違う人といちいち喧嘩する気もございません。だからこそ、「いや、貴方の感じ方はそれはそれとして、私はこう思いますがどうですか」と最初から最低限の礼儀をもって書いて頂ければお互い気持ちよく、素晴らしい聖飢魔Uの楽曲について、より建設的な意見交換が出来ますのに、貴方のようにいきなり罵声から始める人がいるのは全く残念なことです。
あなたは随分とお利口ちゃんなんですね^^;
長々と同じようなことを理屈っぽくこねくりまわしてつらつらと書き連ね、恰も自分はオトナでガキを相手にしてるようなその口ぶり、ある意味尊敬します
あなたは随分とお暇ちゃんなんですね^^:
たまたま見かけた古い記事にわざわざ、恰も「自分はオトナでガキを相手にしてるような口ぶりしてるけど俺の方がもっとオトナなんだぞ」と主張するようなその口ぶり、ある意味尊敬します。
もともと僕は何年か前に入門教典を手に入れて、「ふーん、聖飢魔Uってこういうバンドだったんだ。なかなかかっこいいじゃん!」程度の認識でした。衝撃という衝撃は感じませんでして、その1つが「やけにギターがおとなしいな」という印象をもったせいでして…(古参ファンの方、すいません)
それからしばらくして、この記事にも書いてある「悪魔NATIVITY」を聴いてみたところ、「何だコレは!?全然違うバンドじゃないか!!」と衝撃を受けました。
とにかく、ギターが二人して暴れまくっている。ジェイルという旧メンバーが復帰したことは後で知るのですが、ルークもそれに合わせたかのようにハッチャけまくりなプレイを披露していますよね。
いろいろと調べていくうちに、エース長官というのが聖飢魔Uの中でもバンマス的な役割を負ったメンバーであるというのが分かり、ファンの中でも意見が二分されているのだなあと実情を把握したのですが。
僕は、逆にジェイル代官が再加入したことで、僕のような「新しいファン」(比較的ロック小僧よりの)を獲得した功績もあるのではないかなあ、と思っております。。
長々と失礼いたしました。
>とにかく、ギターが二人して暴れまくっている。
あのアルバムを作る際に、「とにかくめちゃめちゃ勢いのあるアルバムにしよう!」と二人で話し合ったらしいです。
が、私はむしろ「あれ、ジェイルおとなしくなってるなぁ…」と感じました(^^;)。
>エース長官というのが聖飢魔Uの中でもバンマス的な役割を負ったメンバーであるというのが分かり、
ん〜、バンマスというのとはちょっと違いますかね。解散前にはむしろバンマス的な役割はルークが担っていたような気がします。作詞作曲両方手がけていた曲も「NEWS」以降多いですし。
ただ、「有害」のバンドスコアのインタビュー(だったかな)で「パテ清水」と言われていたように、全体(リズムセクション+ルーク)で作ったものを総括して穴を埋める、重鎮的な役割という意味では確かにバンマスだったかな、という感じですね。
「当たり前のようにそこにいて、ただのハードロックバンドではない(できない)ニュアンスをそっと付加してくれていた存在」みたいなところがあるんですよエースには。だから、前のコメントでも書いていますが私にとってエースのいない聖飢魔IIって「ボーカルが閣下じゃない聖飢魔II」くらい違和感があるんですね。
普通にマイナースケールをかけあがるんじゃなくて「ここはオルタードでかけあがって…」とか、「いきなり9thの音から入って…」とか、ジャズ・フュージョンに裏打ちされた音楽理論でギターソロや楽曲に華を添えていた方なので、パッと聴いた感じでは確かにおとなしい印象もあるのですが(^^;)、何度も聴くとそこがじわじわと魅力になって。
なので、NATIVITYで「ジェイル+ルーク」という組み合わせになった時に、似たタイプのギタリストの組み合わせになってしまって、より「普通の」ヘヴィメタルバンドになってしまうのではないかという危惧があったんですが、リア充名無しさんのようにそれがかえって「比較的ロック小僧よりの」ファンを獲得することになったのは複雑な気がしますが、すごく嬉しいですしありがたいことです。
(私の危惧も、ジェイルが昔よりずっとブルース寄りのギタリストになっていたせいで単純に「速弾き系のギタリスト二人」という感じにはなりませんでしたしね)
取り止めがないコメントで申し訳ありませんが(汗)、とにかく聖飢魔IIは素晴らしいバンドですしお三方ともそれぞれタイプの違う素晴らしいギタリストですので、リア充名無しさんにはこれからももっともっと聖飢魔IIをどっぷり聞いて楽しんで頂けたら、ということですね(^^)。来年は30周年でまたミサがあるのではないかと言われていますし。
そして、更なる世代に聖飢魔IIを伝えていってください。ではでは。
なるほど、それも納得です。笑
とても解散を経た「ベテランバンド」の演奏には思えなかったもので(誉めてます)、本当にびっくりしました。
僕が長官をバンマスと表現したのは、プロ歴が最も長い事と音楽理論にとても精通しているようでしたので、だいたいのロックバンドにおいてそういうメンバーは珍しいですから、作曲はさておき演奏・編曲面でかなり主導的な役割を持っていたのかな?と想像してのことでした。
しかしながら、聖飢魔Uは本当に素晴らしいバンドであり、同時に「うらやましい」バンドでもあります
。
僕は先日も申し上げたようにかなり「ロック小僧」なタイプのリスナーなのですが、その視点から見て、「メンバーの脱退と新メンバーの加入」、そして「再結成後の音源」という、およそ「ロックバンドの物語」をひどく汚しかねない事態も乗り越え、決してバンドとして無様に凋落しなかったというのは見事と言う他にありません。
僕が敬愛する数々のバンドも、やはりそういったことで躓いているように思えるバンドばかりなもので…。
無論、全てにおいて若かりし頃と何ら変わらないというわけではないのでしょうが。。
もし来年ミサがあるようでしたら、そのときは是が非でも新たな信者として閣下のもとに馳せ参じたいものです。笑
これは、聖飢魔IIが大学の音楽サークルで結成されたバンドであり、デビューまでに既に何度もメンバーの入れ替えがあったことと無関係ではないと思います。
そして、普通のバンドは何か問題(メンバー間の確執等)が起きることで解散に向かうのに、聖飢魔IIの場合最初から解散の予定が決まっていたために、その日に向かって一体になれた、という、極めて稀有なバンドだと思います。
なので、メンバーの入れ替えや解散後の音源もあまり過去に縛られることなくスムーズにいくのではないかと。
確かに珍しい、しかも真似るのが困難な、うらやましいバンドであることは間違いないです(笑)。
ACE氏に何度ミサに参加して欲しいと思ったことか…
聖飢魔II後期に信者になり当初は派手なソロのLUKE氏に
惹かれて、自分もギターを弾くようになり
LUKE氏の速弾きカッコイーって思ってました。
数年経ち、ACE氏の曲を練習しようとした所
ACE氏はこんな複雑な指の動きをしていたんだ!
と驚きそのメロディーラインの美しさに魅了され
聖飢魔IIにはもちろんJAIL氏も必要ですが
LUKE氏と真逆なプレイスタイルのACE氏こそ必要だと感じました。不思議とバランスが良かったと言うか…
20周年の時のようなゲスト的にJAIL氏が現れるといった
スタイルの方が聖飢魔II的なカッコよさがうまく表現されていた気がします。JAIL氏なりのカッコよさはもちろんおおいにあります!しかしACE氏のソロの美しさ…サクラちってのミサ版アレンジなんて素敵過ぎました…
僕も同じ考えでACE氏のソロはコピーして欲しかった…
いや、むしろACE氏本悪魔に演奏して頂きたかった、と言ったところでしょうか…
悪魔としてのACE氏にもう一度会いたいです。
今更失礼致しました…
30周年武道館二日目のラスト、ダミアン殿下と共にお姿だけでも現してくださるかなーと思ったんですがダメでしたね。。。もう完全に地獄へお帰りになられてしまったんでしょう。
思えば、聖飢魔IIはとっくに解散しているバンドであって、今25周年や30周年で観れること自体が奇跡的なんですから、「解散してしまったからもう絶対見れないんだよ」というものが何か一つでもあるのは自然なこと、絶対無理なものというのが何か一つでもあるのは悲しいけどむしろ良いことなのかなーと今は思っています。
ギターソロ云々に関しては、今回の30周年では参謀も代官も長官ソロをほぼ完全にコピーしてくれていました。私のブログを読んでくれたのかなーなんてちょっと自惚れています(笑)。
武道館…参拝券ゲットしておりましたが
まさかのゼウスの妨害により参加出来ず…泣
全席死刑と続・全席死刑の1回ずつ参拝しました。
今回の30周年最後かもしれないということで
ラスト期待していましたがACE氏は現れなかったですね…
拝見したかったです。
前説がまさかのダミアン殿下だったので期待しましたが…
おっしゃる通り既に解散して会えないのが当たり前です。
期間限定再集結があり、欲が出てしまったようです。
今回の信者の集ひでは閣下がface to aceに専念したいから
聖飢魔IIのミサには参加出来ないとおっしゃっておりましたが
閣下から直接聞き、確かにそうだな〜と納得しました。
ソロは今となっては記憶が曖昧ですがほぼ完全コピーという事で
嬉しく思いました。
関係者の方から聞きましたが聖飢魔II構成員とACE氏は
よく会っているようでソロをコピーしていただけることは
信者としては仲の良さを実感できるというか
ギタリストとしてリスペクトを感じるというかなんというか…
幸せです。笑
おそらく読んでいただけたのでしょう!
信者の想いが届いたのだと思います。
もし次回再結成したらお互い参拝しましょう!
ありがとうございました!
ソロは、全席死刑のCDで確認できますよ〜。
ブルーレイ・DVDもでましたね!
「リスペクトしているからこそソロをいじる」んだと主張する方も(↑コメント欄に)いますけど、それもリスペクトの一つの方法ですけど、やはり「コピー」というリスペクトの仕方をしてもらいたいんですよね。で、やっぱりジェイルなりのニュアンスのアウターミッションソロとか、ルークなりのニュアンスのルナティックパーティーソロとか、すんごいいいですよ。こうやってほぼ完コピしているんだけど、でも演者のクセが感じられるソロが聞きたかったんだ〜〜〜って、嬉しくなりますね。
再集結がもしまたあったらお会いしましょう〜!
参拝できないとと決まった時はショックのあまり
忘却の彼方へ行きたくなりました…笑
ソロもう一度じっくり聴いてみます。
「リスペクト」しているのであれば
練りに練ったメロディー達
完成された音楽そのものをコピーしてほしいです。
もちろん全否定するつもりは無くそれぞれのソロに
良さも感じます。
が、JAIL氏は俺のギター、俺の音を聞け!
みたいなプレイスタイルのギタリストだと思うので
アレンジするとJAIL氏らしいアメリカンロックなソロになり
ちょっと違うかな?って思ってしまったこともあります…
(悪口ではないです…JAIL氏も大好きです)
ほぼ完コピするからこそそれぞれのクセといった
ピッキングニュアンスの違いやもともと持っていた音楽性の
違いがわかり、面白いものです。
ACE氏作曲の曲を楽譜で見ても独特の指の動きがあったり
共通して似たような音階などがあり個性が光ります。
聖飢魔IIといった枠の中の曲達はそれぞれの個性が光り輝き
色々な種類の曲を楽しめる…
素敵な音楽に出逢えたと思います。
すみません、勝手に語ってしまいました。
ミサでお会いしましょう!
それでも数年ごとに「聖飢魔U」という大切な大切な遊び場を提供してくれることに感謝しかないけど。
多少外見もお声も演奏も年を重ねたら変わりますがそれでも触れる度に胸も目頭も熱く心が揺さぶられます。
こういうコメントが目に触れることでご本魔様達はどうお感じになられるんですかね。長官ご本魔も。大切なピースが戻らない中一生懸命「聖飢魔U」というコンテンツを守ろう、共有しようとしてくれた閣下も、それに向けて時間も労力も惜しまず投じた殿下も和尚も。普段ひくはずのない部分までカバーしてひいた参謀も。批判されちゃった感じの代官も。結果謝らせるようなことして楽しいですか?
既に1999年末で終わっています。受け入れられないなら1999年末で静かに心の中に留めておけばいいだけなんじゃない。
聖飢魔Uの信者なんか大半は40オーバーな年齢層なんだから気に入らない!と声を大に宣伝しなくても受け入れられないならスルーしとけば?
あなたのような考え方があることも、ご批判も理解はできますが、あのですね、まず、この記事が書かれた日付をちゃんとチェックされましたでしょうか?
コメント欄も全部目を通されましたでしょうか?
記事を書いた25周年再集結の後、両国国技館ミサにおいてジェイル代官は「真昼の月」のソロをほぼ完コピしてくださいましたよね?
今回の(と言ってももう二年前か)30周年において、参謀は「Rock In The Kingdom」においてエースのソロをほぼ完コピしてくださいましたよね?
このブログは、かつて一度は代官のお目に止まったと、高木氏(代官とご一緒にラジオ番組をなさっている方)から伺っております。その後この記事が目に止まったかどうかはわかりませんし、「絶対見ていただけたはずだ」などと自惚れてもおりませんが、TTJの真昼の月ソロや30周年の各曲のソロから察するに、私と同じような意見が本悪魔様方の元に多数寄せられたのではないかと私は想像しています。
「こういうコメントが目に触れることでご本魔様達はどうお感じになられるんですかね」ですが、私は「あーやっぱり言われちゃったね、エースの影響力はやっぱり凄いね、エースのソロは下手にいじったらやっぱりいけなかったね」と思われたのだと想像しています。
だからこそのTTJ、30周年の各曲の編曲(いじり)っぷりだったのでは、と私は勝手ながら思っていますし、あの参謀の「Lunatic party」や「The End Of The Century」ソロは聞いてて鳥肌が立ちましたし、目頭が熱くなりました。よくぞここまで完コピしてくださったと。
これしきのアクセス数のブログで好き勝手書く程度のこと「声を大にして宣伝」してるとまでは思いませんけども、少なくとも私は、自身の声をささやかながらも率直にこうして発したことで、直接ではなくとも何かしらどこかしらを経由して本悪魔様方のお耳に届き、その声をお聞きくださったのだと少し誇りにすら感じているのですけどもね。
スルーなんかしなくてよかった、聞き届けてくださってありがとうと、それこそ感謝しかないです。
当該音楽事業者に関しては法務局へ届出をされた企業によって事業の運営の継続を行っている。
また、楽曲の編成にかんしては事業主によって決定が下されるべき内容であり、構成される楽器奏者によって楽曲そのものはそれぞれの時代のそれぞれの舞台により一度かぎりの演奏とされる。
ダミアン浜田が奏者として楽曲演奏への舞台参加がおこなわれれば当然、ライデン湯澤によって全ての奏者への演奏指示に当たる速度の変更、または楽曲中のタイミング出しの指示部位の丁寧さも変化し、レギュラー奏者エース、編成を変えたのちのジェイル、それぞれと対を成すルークとの組み合わせ、それぞれでたった一度の演奏がチケットを購入した者のみに聴くことを許されるのである。
エースが編成された聖飢魔II
ダミアンが編成された聖飢魔II
現在のレギュラー編成に加わったジェイルの編成された聖飢魔II
それぞれが別の聖飢魔IIであり、またそれが聖飢魔IIを創設したダミアン、組織の存続をたくされたデーモンの望んだ聖飢魔IIを構成するすべての参加メンバーの想いなのであらる。
それぞれの時代で聖飢魔IIへ参加されたそれぞれの奏者には、皆それぞれの生活があり音楽活動をしりぞかなくてはならないやむをえない事情があるのである、
創設者兼最高権限所有者であった当初のダミアン浜田によって聖飢魔IIのすべてのマネージメント権限はデーモンへ引き継がれ現在の聖飢魔IIの存続が可能となっている。
参加奏者の選定、および奏者の交代のすべては聖飢魔II音楽プロジェクトの存続の為に行われ過去参加奏者の復帰の為、自身が編成から外れる決断を公には口外せず未来のいずれかの時代に再び編成の変更を余儀なくされ、やむを得ない事情があれば再度聖飢魔IIの存続のために戻る決断をするかもしれない、
そういったそれぞれの思いが形を成すそれぞれの時代の編成による奏者の紡ぎ出す音に間違いなど存在はしないのである。
デーモンが現在まで存続させた聖飢魔IIは
楽器奏者のメンバーがそれぞれ音楽を職とし、
永続的な活動が可能となるよう創設者が離脱時デーモンへのぞんだ唯一の想いなのである。
エースがなぜジェイルへの編成の変更をのぞんだのか。
ジェイルがなぜ上手側での編成への交代を受理したのか。
それぞれの奏者による音にそれぞれの楽器奏者たち、バンマスであるライデンがどうしてゆくのか。
それを知る必要はない。