2013年12月10日

模型を趣味としない人へ注意というかなんというか

 プラモデルを趣味にしていたりすると、他人から「手が器用なんですね」「手が器用で羨ましい」「私は不器用なので…」という言葉をかけられることがある。おそらく、それは褒め言葉なのであろうし、だから私も一応有り難い言葉として受けとることにしている。
 ただ、はっきり言ってしまうとこれは褒め言葉ではない。むしろこれは人を馬鹿にしているとして激怒されることすらあるかもしれない、注意が必要な言葉なのである。考えてもみよう、サッカーの上手い人、バスケットボールの上手い人、ただ上手いだけじゃなくJリーグ選手などのプロに対して「器用ですね、羨ましい」と褒めるだろうか? 絵が上手い人に「器用ですね」と言うだろうか?(これはごくたまにはあるかもしれないが) 
 そう、「器用ですね」という言葉には「生まれつき」というニュアンスが含まれてしまっているのだ。スポーツ選手は器用だからそのスポーツをやっているわけでも、上手いわけでもない。血の滲む努力をしてその技術を習得したのである。これは絵も造形も音楽も同じなのである。生まれつきそれらが得意であるとか最初からセンスがいいとか習得が早い人は確かにいる。それでも、努力なくして習得した人など皆無であろう。
 社交辞令、というものがある。別に下手だなどと思ってはいなくても、「上手いね」という気持ちを相手に伝えたい、という時、絵であればそれなりに褒め方がわかっている。ここの色がいいだとか、風景がいいだとか、感じた事を言えばいい。しかし抽象画のように、何故か立体物は皆褒め方がよくわかっていないらしい。とりあえず「器用」と褒めておけばいいという風潮がある気がする。
 TVチャンピオンというTV番組のおかげもあって日本でおそらく最も有名なプロモデラーである山田卓治氏は「おれ、手の不器用さならチャンピオンだもん」と言っている(月刊ホビージャパン99年4月号、だったと思う)。だから常にやり直しが効くように出来ると有り難いのだと。私も相当ぶきっちょな方である。見るからに不器用そうな手をしている。つまり、「器用だからサッカーをやっている」のではないのと同様、プラモデルを趣味とする人は決して「器用だからプラモデルを作る」のではないのだ。まず「作りたい」という欲求ありきだからこそ作っているのだ。
 そして、上手く作りたいがために(模型誌やネットで)勉強し、出来るだけ高くていい道具を買い求める。塗装の練習もしてみたりする。失敗したらいわゆるドボン(シンナー風呂につけて塗装を落とす事、また手段を問わず一度塗装した塗料を落とすこと)をし、また泣きながら塗り直す。これを努力と言わずしてなんであろう。「これ、上手く出来てますね!凄いですね!」と言われた人が「いやー俺、手ぇ器用だからさ」と言うだろうか、そんな人はまずいないと思う。手が器用な人が造形も出来るのであればTVチャンピオンの「手先が器用選手権」チャンピオンが一番模型を作るのが上手いはずであるし、人の心を打つ素晴らしいディオラマを作るはずだ。
 なんとかして自分の「好意」を伝えたいと思い感想を口にする、その行為自体は素晴らしく、微笑ましく、有り難いものであるが、しかし、安易に「器用」とモデラーに言ってはいけない。「器用」を褒めるということは、その人のそれまでの努力の全てを否定することと同義なのだ。上手い絵を見てその感想を言うように、ただ自分がその作品に対して感じた事を素直に述べればよいのだ。別に「お、こいつわかってんな」と嬉しがらせるような細かいことを言わなくてもよい。それでも、単純に手先の器用さについて言及されるよりはるかに相手に好印象を与えるはずなのである。
posted by SeireiK at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ホビー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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